田中 文子さん

目次

序文

田中 文子(たなか ふみこ)さんに燈を点すにあたって。 かつて千もの家が立ち並ぶほど栄えた津屋崎千軒。

旧田中薬局は、今もその時代の面影を残しています。

昭和三十年、文子さんは田中家に嫁ぎました。最盛期には住み込みの従業員とお手伝いさんが合わせて十五人。
電話番号は十三番。

田中 文子さんの語り継いだ当時の記憶は、津屋崎の輪郭を描き、今に色を添えています。

文子さんのトルソー

かつて
薬をすりつぶしていた乳鉢
微細な調合に活躍していた天秤
田中薬局のよすがを垣間見る土間が
ここにある

時代が変わり
ガラス越しの調剤室は
文子さんの洋裁部屋となった

文子さんのトルソーは
土間の入り口に
いつも品よく佇んでいた

立ち寄ると
文子さんは いつも
トルソーに着せた新作について
語ってくれた

代々継がれてきた正絹の着物からリメイクされた
ボタンダウンの羽織りものについて

「擦れてほつれたり薄くなったりしているけれど
とても高尚で遺す価値のあるものなのよ」

文子さんの話は
いつもまっすぐで
説得力があった

「あたし、手術が必要と言われた時に、
先生にはっきりこう言ったのよ。
『この腕だけは残してください』って。
『縫えなくなったら、生きている意味がない。』と。
おかげで、今もこうして縫うことができているのよ」

文子さんのトルソーは
あの日も今日も変わらず
上品に文子さんを着こなしている

この写真を撮った人

この記事を書いた人

山口 美佳のアバター 山口 美佳 感性の聴き手

津屋崎の凪に耳を澄ます。
蚕の糸の如く音を紡ぎ、人の奥にある土地の気配を聴き、言葉に置く。

目次